すまいるの”メインは前菜ほどに”

シアトル生活16年目、長年独身保った関西女と同居人がとうとうゴールイン。前菜からメインに・・。

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アメリカナイズでいいこと、わるいこと 

RYOさんの記事や、脳天気さんの記事で、「気にならなくなったこと」をリストアップされているのを読んで、つい思い出してしまったこと。


仕事の取引先に結構日本人がいる。 その人たちとやりとりするのは、ある意味日本語だから、やりやすいと思う人もいるだろう。 でも、私にとったら、逆にかなりやりにくいことがある。

ある程度、居住している国の言葉に慣れたら(うまい下手は別として)、自分の母国語で話そうと、地元の言語だろうが、結局は相手の性格の一致、不一致、またはどれだけ真剣に仕事してくれるか如何によるからだ。 日本国内で仕事することを考えてもらったらいい。


で、私の経験だが、在米経験が中途半端な人ほど、なぜか日本人のいいところを忘れ、且つ日本人の悪いところだけを残し、アメリカ人のいいところを学ばず、アメリカ人の悪いところだけを学んで仕事をしている人が結構いる。


一番目に余るところで、日本人の悪いところというと、公私混同する。 

日本じゃ、公私混同はよくあることだが、それをそのままアメリカに持ち込み、仕事はまじめにしても家庭が一番のアメリカ人社会にて、仕事が家庭、プライベートタイムより大事とやってしまうこと。

アメリカ人の悪いところを身に着けてやってしまうというのは、自分がミスをおかしたら簡単には認めず、最初に自己弁護に走ること。

すみませんという言葉を一応言うのだが、次の続く言葉のいやらしいこと。 「自分の担当じゃありませんから。」なんてしょっちゅう。 つい今週にもそんな言葉を聞いたので、また同じ人から同じことばを数回目聞いたので、いいかげん、あたしゃ怒ってしまったくらい。(実際、その人がすべて窓口として処理してたのにさ。)


どうして、せっかく自国とは違う国にいて、その国いいところを学ばないのだろう? 「気にならなくなったこと」は私にもたくさん当てはまる。 それらを日本にいる親が読んだら、「悪いことを学んでいる」と思われるかもしれない。 悪いことと判断してしまう前に利点も多くあることに気づくべきかなと思う。 それが何か?と疑問に思うなら、私がよくおじゃまするブログを読みなおしてみるのがいいな。

「気にならなくなった」ことは、現地民の行動がしみついてしまったことで、現地民化するということ。 それは、日本での標準値だけで物を見なくなったということ。 

同時に、現地民の行動や考え方を良いように取り入れるのであって、悪用しちゃいけない。 自分の都合のいいときに、悪いことだけをマネするのでは、その国の悪いことをしない人までに失礼だと思う。(注意:悪いことというのは、世界的に見ておそらく悪いことと判断させていただく。 またその国の一部の人がやることとさせていただきたい。)


私は、アメリカやここの人たちが好きだが、一部の人によく見られる「ミスをミスと認めず、弁解にばかり力をそそぐ」行動が好きでない。 かといって、言葉ばかりで謝って、そのミスをカバーするくらいの解決を即実行することのない、日本人に多い行動も好きでない。 

これを違う見方でみると、いいようにも取れるのだが・・・。(訴訟国のアメリカで即、あやまってはいけないとか、反省がある日本では、とにかく自分が最初に悪いことをしたのではと、見直しを図るとか。)


自分のよがりな意見になってしまったが、自分の意見がまた正しいと周囲の人に思って欲しいともこれっぽちも思っていない。 オープンマインドで人を見たいという結果だから。

今日も、テーブルに足を乗っけて、ビール片手にDVDを見て、洗い物も最後の皿ほったらかしで、こうしてPCに何時間も向かっている。 親が見たら怒りそうだが、これらは悪いことじゃない、同居人は迷惑してないし、誰も傷つけたり、怒らせたりしてるわけでない。 

ただ、ずぼらなだけ。 でも、私なんかアメリカ人にしたら、ぜんぜんずぼらじゃない。 普通なのだよ。

 
そうそう、ひとつ「気にならなくなったこと」を思い出した。

電話中に、受話器をカバーもせず、そばにいる人に話しかけてしまうこと。もしくは、電話の相手に「ちょっと待って」という一言もなしに、そばの人に話しかけてしまうこと。

これアメリカ人がよくやるんだが、私がやられたときには、私に最初何を話してるのか?ととまどった。 私が話をしてるのに、電話の向こうで反応がないなと思っていたら、受話器を離れていたので、一人話していたのに気がついて、ムッとした。

それを今やってしまってるんだが、これは相手に失礼だから、真似するのはやめようと思う。

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テーマ: アメリカ生活

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お金は天下のまわり物 

仕事から帰宅途中に車のフロントガラスに石が飛んできて、ぴしっとお星様を残していった。 またかよ~っ。

頭の中で札束に羽が生えて飛んでいくのが見えた。


そして、いそいそとまた合気道のお稽古に向かおうと自分の車まで来たら、まん前の地面になんとお金が落ちていた。 暗かったがお札が見えたので、つかんでみたその瞬間、結構な桁数が見えたのだ。

うわおぉ

と思い、ひっつかんだら何枚かあったのを感じた。その額の札が全部の枚数だったら・・・と一瞬にして頭に思い浮かべ、そのまま手の中に握り締めて、車に乗った。 いくらあったかも見ずに、車の小物入れに入れてお稽古に向かった。

お稽古中、お金のことはすっかり忘れて、終わって帰宅途中の車の中でちょっとどきどきしながら、ひたすら考えた。

うーん、いくらあったんだろう。ひっつかんだら、結構何枚かあったな・・。表に見た札の額がすべてだったら、どうしよう・・。数万円の額だぞ。 そんなお金をいったいどうしたらいいのだろう。 アメリカには交番ってなものないし、だいたいアパートの敷地内では、公共の場所ではない。 アパートの管理事務所に届けたところで、落とし主が現れるとは思わん。 またすべてのご近所に落としたかなんて聞いたって、みんな自分のだって言うに決まってる。 

ひたすら考えたあと、同居人に相談してみることにした。 だいたいどういうか想像はついていたが、そんな何千万円という額でもないのは解っているので、警察に届けるのはしないと思うが・・。


こんなことを考えながら、さらに自分の子どものころを思い出した。 まだ小学生のころ、夏休みに祖母の家に行ったとき、近くの公園で遊んでいたら、たくさんの小銭を地面に見つけてしまった。 

百円玉や、10円玉やらが10数枚。 せいぜい200、300円だったと思うが、そんときの私にしたら拾う額としては結構なもの。 全部かき集めて考えた末に、すぐ近くにある交番に届けにいった。

おまわりさんは、「ありがとう。」といいながら、ちょっと戸惑った顔をしていた。 私はいいことをしたと、ほくほくだったが、大人のおまわりさんにしては、「こんなくらい持ってこなくても良かったのに。」だっただろう。 それくらい、私は子どものころから、頭に「バカ」がつくくらい正直だったのだ。 今でもそんなところがあるから、お金を拾っただけで心臓がバクバクしているのだ。 

家に帰って、同居人も帰ってきた。 同居人に言うのも実は最初迷っていた。 絶対、「もらっとけ。」というのは解っていた。

数万円にしたって、私にしたら結構な額。落とした人がきっと困ってるだろうと考えると、おおっ、ラッキーと簡単に自分のものにしがたい。

で、同居人に話をしてみた。

いくら、あったのかも見てないんだよね。結構つかんだときに、何枚もあったから。 車の小物入れにまだ入れてたまんまだけど。

同居人は食っていた晩御飯もそこそこに、車にすっとんで行った。結局全部同じ額ではなく、全部数えてみると、一万円ちょっとのドル札だった。

ちょっとほっとした。 (ただの小心もの)

同居人曰くやはり、もらっとけ。ということだった。 私が前述で考えたことプラス、そんな何枚も4つ折にして、地面に落とすということはポケットから落としたに違いない。 そんな粗末に扱う気が回らない奴だから、落とすほうが悪い。 うんねん、かんねん・・・。

額が中途半端だと解ったので、結局手元において置くことにした。

ひょっとしたら、今年のクリスマスを楽しく過ごさせてあげとうという神様からのお小遣いかもしれないし・・・。


普通他の人だったらどうするだろう? 聞くだけ無駄?

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