すまいるの”メインは前菜ほどに”

シアトル生活16年目、長年独身保った関西女と同居人がとうとうゴールイン。前菜からメインに・・。

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ありがとうとThank You 

ちょっと、暑さが落ち着いたシアトルだが、やっぱり今日も暑い。 今日は日本からのお客を連れて郊外に出かけたが、日差しが強いのと乾燥で、トイレに行きたくなったはずが、30,40分後にはすっかり尿意が失せていた。 蒸発したかもしれない・・・。(するか)


さて、先週末のJの両親んちでのミニ野外コンサートを三角座りで見ていたときにぼーっと考えたことがある。

アメリカ人がよく、人を集めて催しをしたときに、ステージ上でスピーチやトークを簡単にするが(前、後説明程度)、そのときに必ず最後を締めくくるように、この催しを開くためにサポートしてくれた人に感謝の言葉を言う。 

それが、お金を払って場所を借りている場合でも言うことがある。(お金を払っている商業目的の催しなら言わないこともあるけど) 

今回のように、Jの両親の好意で場所を提供してもらい、パーティを開いてもらい、食べ物まで用意してもらって、すべてボランティアだ。 バンドのボーカルくんは、ステージ代わりに使ったポーチから、Jの両親にお礼の言葉を述べた。

このときに、ちょっと思ったのが、ありがとうという言葉はなぜか、英語のほうがいいやすいなぁ・・と。

変かもしれないけど、Thank you for.....(・・・をありがとう)と言うことのほうが、日本語で「・・・してもらってありがとう。」と言うよりなぜか、するっと口から出てきやすいとあっしは感じてしまうのだ。 

言葉自体に問題があるより、用途や言う相手にもよるだろうけど、どの場合、状況においてもあっしの場合、英語のほうがすんなり、自然にでてくる。


あっしが子供のころ、何かしてもらったら、なかなか「ありがとう」が言えない子供だった。 感謝が足りなかったのかもしれない。 親がそうしつけなかったわけでない。 母親に何度も言われた記憶はある。 なのに、親にもありがとうがいいにくい。 店で買い物してもいいにくい。 

それがアメリカに住むようになって、英語ならサンキューがするっとでてくるようになり、一時帰国で日本に帰ったときに、するっと日本語で「ありがとう」がするっとでてきたのである。 これには、なんだか違和感を自分で感じてしまった。 あれ?ってな感じ。

アメリカに来て気がついたのが、サンキューをビジネス手紙でも言葉でもスピーチの終わりでもなんでも、締めくくりの言葉としてとにかくよく使う。 アメリカ人も日本人より感動屋さんだという気がするのでそれも影響してるのかもしれないが、よくサンキューを言う。 親にでも同僚にでもどんな小さなことでもサンキューをいう。 

それを周囲で聞いているから、きっとあっしも耳で慣れてしまい、するっとでてくるようになったのかもしれない。

じゃあ、日本人はありがとうを言わないか・・?そうでないと思う。 ここが文化だろうか、日本人は人にしてもらったら、「すみません・・」と謝ってしまう。 これは日本語を勉強している外国人からは不思議に見られる現象?としてよく質問された海外在住日本人も多いと思うが、ほんとうに謝っているわけでないのだが、「すみません・・」と言ってしまうほうが多いのだろう。

実際、つい先日日本食スーパーへ買い物に出かけたとき、レジで会計を済ませようとして、日本人の店員さんに「ありがとうございました。」と言われて、つい日本人に戻り、「すいません。」といいそうになり、言葉を引っ込め、結局無言でお金を払い、店をでてしまった。

なんで、「ありがとう」がいえなかったのかは、たぶん英語ならサンキューとするっとでるのが、つい日本語モードだと「すいません」がインプットされてしまい。 それがおかしいから、無言になってしまったのかと。


そんなことを考えながら、ミニ野外コンサートが終わり、ピアスだらけ、タトゥだらけのメタル兄ちゃんが、「Jの両親へ、場所を貸していただいてありがとう。」と感謝の言葉を違和感というより、ほほえましい?ような気持ちで聞いていた。


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